スピリチュアルクラブ

スピリチュアル系の体験や出来事・情報を時に詳しく時にゆるーく発信します。

サティヤ・サイババ

2019年5月26日はてなブログをスタートします。

スピリチュアルの世界に興味を持って20年近くになります。
振り返ると、これまでに沢山のパワースポットや神社、仏閣に行き・・・
沢山のスピリチュアル系のセミナーや勉強会に参加して・・・
色々な人達に出会って来ました。
(思い返せば20年前はスピリチュアル系は市民権が無く隠れキリシタンのようでした^^)

 

目次

 


昔は霊感とか霊能力などと言っていましたが、スピリチュアルという言葉がテレビで聞くようになってからだいぶ印象が変わってきた気がします。。
 
そこで、過去の事や現在進行形のモノを織り交ぜながらスピリチュアルの世界を紹介するブログをスタートする事になりました。


ブログの名前は「スピリチュアルクラブ」です。分かりやすくて皆さんに覚えて貰いやすい名前が良いかなと思いつけました。


スピリチュアルに興味のある人に、これまでの私の少ない知識や経験・体験でも、もしかしたらお役に立つかもしれません。


また、スピリチュアル初心者の人に少しでも興味を持って頂けたら嬉しいです。

 

それから、スピリチュアル系のイベントや人物等の情報も発信していきたいと思っております。
 
皆様になるべく有用な情報を提供していくよう心掛けます。

 

皆様どうぞ、宜しくお願いします。 

 

サティヤ・サイババ

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記念すべき第一回目のブログはインドの聖者サティヤ・サイババ様を御紹介します。


サティヤ・サイババ 1926年11月23日ー2011年4月24日


サティヤ・サイババは、南インド、アーンドラ・プレデーシュ州アナンタプラム県のプッタパルティという小さな村に生まれました。

 

誕生秘話


あるとても熱心な信者が神様にお願いをする為に、シバ神が住むヒマラヤのカイラス山に行きました。

 

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カイラス山


とても熱心な信者はカイラス山で一生懸命にお願いを届けるのですが、ちょうどその時シバ神は奥さんのパールバティーとどちらが長く踊っていられるか競っている真っ最中でした。

 

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シバ神とパールバティー女神


シバ神とパールバティーの踊りは3日3晩続きました。


信者は3日3晩のあいだお願いを続けましたが、過酷な環境の中で瀕死の状態になってしまいました。


シバ神はやっと瀕死の状態にある信者に気付くと(悪かった悪かったと)あなたの家系に神の化身として3度生まれましょう!と約束しました。


1度目はシバ神がシルディ・サイババとして、2度目はシバ神とパールバティーがサティヤ・サイババとして、3度目はパールバティーがプレマ・サイババとして。
こうしてサイババが降誕することになりました。

 


シルディ→シルディ村  シルディ村のサイババ  

サティヤ→真理     真理のサイババ   

プレマ→愛       愛のサイババ

 

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シルディ・サイババ様

 


インドではサイババというと一般的にシルディ・サイババが有名ですがサティヤ・サイババも御隠れになられた時には国葬が行われました。(神様の場合は死ぬという表現は使いません)


サティヤ・サイババ様の肉体はプッタパルティのマンディールに土葬されています。

 

そこからは第3の目が開いていると見ることが出来る神光が眩しいほどにひかり輝いているのがわかります。


また、サティヤ・サイババが御隠れになられてから8年後の2019年にプレマ・サイババが降誕する事になっています。

 

(プレマ・サイババが20歳なったら世に出てこられるそうです)


20年後(2039年)にプレマ・サイババに会うのがとても楽しみです。

 

 

サイババ幼少期


特殊な能力をもったサイババ少年は数々の奇跡を行いました。

 

その中でも有名な話が、木に色々な食べ物を実らしたという話しです。


サイババ少年が友達に「あなたは何がほしいですか?」と聞き、友達が言ったモノを木に実らせて与えたというエピソードがあります。


今でも、その木はプッタパルティの小高い丘の上にあり、信仰の対象になっています。

 

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サイババが奇跡を起こした木

今では柵が設けられて木の側まで行く事は出来ません。

近くにある売店で紙を買ってお願い事を書いて柵に結びます。

 

 

様々な奇跡を行うサイババ少年に母親は「おまえが色々な事(奇術的なこと)をするので変な目で見られるからやめて欲しい」

みたいな事をサイババに言います。


すると少年であったサイババは地面に投げつけます


投げつけた花は、地面で文字になり、その文字は

 

「シュリ・サティヤ・サイババ」

 

と描かれました。


そして、サイババ少年は「私はサイババである」と宣言します


それを見た母親はサイババ少年がが神の化身であると納得することにしました。

 

 

サイババの教え


・あなた方はみな、神の化身なのだ。わたしと同じように、人間の血肉をまとった神なのだ。ただそれに気付いていないだけのことだ。


・「カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それはという宗教。言語はただ1つ、それは心という言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」


・「すべての人をし、すべての人に奉仕せよ」(Love All Serve All)


・「つねに助け、決して傷つけてはならない」(アヒンサー(非暴力)の思想)


・「(プレーマ)は私の姿、真実(サティヤ)は私の息吹、至福は(アーナンダ)は私の糧、私の人生が私のメッセージ、拡大が私の人生、愛に理由はなく、時を選ばず、生じることも滅びることもない。


 また、人間の苦楽はすべて過去世における行いの結果であり、根本的にはカルマすなわち業の因果からは逃れられないが、本人の善行と神の意志によりその結果を変える事がが出来るとも説く。


(プッタパルティのサイババ寺院には5大宗教のシンボルマークがしるされたストゥーパ(塔)があり、宗教はただ1つという教えのシンボルになっています)

 


書籍 神の詩 サイババが語る「さとり」への道 より


・食事の前のお祈り


「ギーター」はまた、食器や調理器具や料理の仕方も清らかでなければいけないと教えています。


食器には、どこにも汚れがあってはいけません。清らかといっても、ただキレイにしていればいいのではありません。


調理器具や食材をどうやって手に入れたかということも大切です。

まじめな仕事と正しい手段で手に入れたものか、それとも不正なやり方で手に入れたものかどうかを、見極めなければいけません。


不正なやり方で手に入れた調理器具や食材を料理に使うと、食べた人が悪い考えをおこすばかりか、悪い道にそれていってしまいます。


次の段階は、料理の支度が清らかであるかどうかです。

 

料理を作る人が何を考え、どんな気持ちでいるかを見極めるのです。


今お話したことで見るべきものが3つあります。

 

ふつうは食器がきれいかどうかは気にしますが、

 

ほかのふたつ━━━料理をする人が清らかであるか、食材が清らかであるか━━━は気にかけません。


料理をする人が何を考えているかはわからないし、買ってきた食材がもともと正しい手段で仕入れたものかどうかまでは、知りようがないのです。


だから、食事の前に神に祈り、すべての食べ物を神に捧げることによって、料理を清め、きれいなものにすることが大切なのです。


食事の前の祈りは、神のためではなく、自分の為にするものです。


神からの祝福をいただいて、食べ物を清めるのです。


食事の前の祈りは、「ギーター」の第4章24節と、第15章14節を唱えます。

 

 ブランマールパナム ブランマ ハヴィール
 ブランマーグノォ ブランマナーフタム
 ブランマイヴァ テーナ ガンタヴィヤムー
 ブランマ カルマ サマーディナー

 アハーム ヴァイシュヴァナーロー ブットゥワー
 プラーニナム デーハマーシュリタッハー
 プラーナ アパーナ サマーユクタッハー
 パチャーミャンナム チャトゥールヴィタム

 

 捧げることは神であり、捧げるものも神である
 神は聖なる炎であり、その炎に捧げる者も神である。
 神とひとつになる者とは、
 すべての行為が神ととものある者だけ。

 わたしは火の神ヴァイシュバナーロー、すべてに広がる宇宙の力、
 いのちの身体に宿るもの。
 吐いて吸ういのちの呼吸とひとつになって、
 すべての食べ物を消化する。

 

祈りの前はありふれた食べ物にすぎなかったものが、神に捧げられると神聖な食べもの変わります。


この祈りは、食器や食材に染みついた汚れをはらい、料理している間に染みついた好ましくない影響をみごとに清めてくれます。

 

 

・願いの叶う樹


だけを望んでいれば、神はその人のもとを訪れ、その人のこころの奥を住みかとするでしょう。


神は「願いのかなう樹」、どんな願いもかなえてくれる樹です。神は天界の牛でもあります。どんな人の願いもかなえてくれます。


神はなんでも知っています。神はあらゆるところにいます。神はみなさんが何を望んでいるかよく知っていて、それを与えてくれるのです。


実を言えば、この世界そのものが「願いのかなう樹」です。

 

何を望み、何を願っても、神は、この世界を使って、すべての人の願いをかなえてくれます。


このことを理解している人は、ほとんどいません。これを教えてくれるお話をしましょう。

 

 

燃える太陽の下、ひとりの旅人が、もうずいぶん長い間歩き続けてきました。


休むのによさそうな大きな木をようやく見つけたので、しばらくそこで涼むことにしました。


暑い中をずっと歩き続けて、すっかり疲れていたものですから、この木陰に入ると心地良い安らぎを感じました。


木の下で座っているうちに、のどが渇いてきたので、ひとりごとをつぶやきました。


「ああ、ここにコップ一杯でもいいから、冷たい水があったらなぁ」

するとどこからともなく、コップに汲んだばかりの水があらわれました。

旅人は「願いのかなう樹」の下にいたのですが、そのことに気付きません。

水を飲むと、次の考えが浮かんできました。


「ああ、ここにふかふかの枕と具合のいいベッドがあったらなぁ。そうすりゃあおれも、ここでのんびり休めるんだけど」


たちまち神様から贈られたベッドと枕があらわれました。旅人は、ゆっくりくつろぎます。


ベッドと枕が手に入ると、旅人はこんなことを考えました。


「ああ、なんてすばらしいベッドと枕なんだ。このうえ女房までいてくれたら、もう言うことはないよなぁ」


そう思ったとたん、この人の奥さんがあらわれました。

 

急に旅人は恐ろしくなりました。不安になってしまったのです。


「この女はほんとうにおれの女房なんだろうか。それとも、悪魔か何かじゃないのか」

そう思った瞬間、奥さんは悪魔に変わってしまいました。

旅人は恐怖にかられて、すっかりとりみだして、こう考えました。

「ああ、この悪魔は、おれをひと呑みにしてしまうんじゃないか!?」

 

そう思ったとたん、悪魔は旅人に襲いかかって、ひと呑みにしてしまったのです。


この物語の教えは、「願いのかなう樹」の下にいるときは、何を考えてもそのとおりになるということです。


この世のすべては、「願いのかなう樹」です。よいことを思えば、よい結果が得られます。


悪い事を思えば、結果も悪くなるでしょう。だから、どんなことがあっても悪い事を考えたり、悪い感情をもってはいけないのです。


スワミ(サイババ)はいつも言うでしょう。


「よい心でいなさい。よいことをしなさい。よいものを見なさい。それが神への道です」

 

 

 

~ちょっと個人的な意見ですが~


私は、ドッグトレーナーの仕事をしています。(本当に個人的な事ですいません)
お預かりしたワンちゃんをよく近くの公園に散歩しに行きます。


明るくポジティブな性格のワンちゃんは、お散歩中に人と出会うと頭を撫でてもらったり声を掛けてもらう事をとても喜び嬉しそうな顔をして元気一杯に尻尾を振ります。
他の犬との交流も積極的に楽しんで常時ハッピーな気分で一周2キロの公園を幸せな気分で一回りしてきます。


このタイプのわんちゃんは、お散歩をとても楽しみにしています。自分のお散歩の順番が来たと分かると喜びを全身で表現してハッピーオーラが全開になります。
楽しくて、楽しくてしかたがない!!!という感じです。
一緒にいるこちらもハッピーな気分になります。

 

これと反対に、見るモノ全てが恐怖の対象といったタイプのワンちゃんもいます。

(一般には少ないですがドッグトレーナーのところにはこうしたワンちゃんがやってきます)


人を見かけると半分パニックになって草むらの中に逃げようとします。
他のワンちゃんを見かけると必死で物陰に隠れようとします。
このタイプのワンちゃんにとってはお散歩は恐怖の時間です。
公園の中をオドオドと歩き、常にビクビクしています。

 

まったく同じ公園なのですが一頭のワンちゃんにとってはとてもハッピーな場所になりますが、もう一頭のワンちゃんにとっては耐えがたい苦痛の場所になってしまいます。


この差はいったい何故起きてくるのでしょう?

 

違いはワンちゃんが何を思っているか?だけなのです。

 

このことは、私達、人間にもあてはめる事が出来ると思います。


何を思っているか、どんな考えでいるかという事はとても大切な事だと感じます。

(人間の場合は、これらの事にプラスして過去世のカルマが影響してくるのだと思います)

 

 

 

 

・不滅の子供


この世界のすべては神が創ったものです。全宇宙が、神の意思で満たされています。神はあらゆるところにいます。


誰に対しても、悪い思いを抱いてはいけません。


感覚の節度を守り、よいことだけを思うのです。


年老いた人も、若い人も、よいことだけを思うようにしてください。すばらしい人生に向かうように、いつも願っていてください。


それがほんとうの人間らしさというものです。


人間とは、ほんとうは滅びることのない、いつかは神に還っていく存在です。人間とは不滅の子供なのです。


ウパニシャッド(サンスクリット語で「奥義書」とか「秘教」を意味しており古代インドの哲学書)はこう言っています。


「おまえたちは死ぬべき定めの者ではない。不滅の子供なのだ」


人間はまた、無知を捨てて働く者でもあります。

 

ところが今の人々は、みんな愚かなことばかりしています。


心と言葉と行為によって人間に相応しい価値を生み出しているとはとても言えません。


「無知のためにものが見えないなら、死んだほうがよほどいい


という言葉があります。

 

無知を遠ざけ、英知を身につけてください。


闇をはらうためには、明かりをともさなければなりません。


英知を身につけるには、神の恵みが必要です。


神の恵みがあらわれれば、無知は消えてなくなります。


ティヤーガラージャ(18世紀から19世紀にかけて活躍したテルグ語の詩人、作曲家)は、こう歌っています。

 

 ラーマさま、      
 あなたの恵のある限り、
 恐れるものなど何もない。
 占いによる運命なんかに、
 何も手出しはできません。

 

(ラーマ→インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公でヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であるとされる)

 

 


憎しみ、おごり、怒り、むさぼり、ねたみ、我欲。

 

それは人生の六つの敵です。


そんなものを支えとしてはいけません。


人生のすべてを、いつも神の恵みに支えられているようにするのです。


英知の意味を深く考え、英知の理解のために力をつくし、神の恵みを願うのです。


そうやって、世界中の人の模範になって下さい。いつ、どこにいても、いつも神を思うこと、それを忘れないで下さい。


このカリ時代において、これにまさる修行はありません。


いつでも神の聖なる名前を唱え、こころの奥にいつも、いつまでも神がいる人になるのです。

 

 

 

~補足~
この世には春夏秋冬のように四季があるとヴェーダではいいます。
その時代をユガといい、4つのユガ(時代)が繰り返されます。1サイクルは合計432万年
・サティヤユガ(クルタユガとも言う)真実の時代、悟りの時代、黄金の時代、正法が生き生きとしている時代
・トレータユガ 正法が4分の1欠けた時代
・ドゥヴァーパラユガ 正法が4分の2欠けた時代  疑惑、不確実性の時代
・カリユガ 正法が4分の1しか残っていない時代 鉄の時代、争いの時代、暗黒の時代
現代はカリユガの時代といわれています。

 

 

 

・平成18年9月6日(水)オーナム祭での御講和


毎年8月の終わり、または9月のはじめにこのオーナム祭がインドで行われています。


オーナム祭は特に南インドのケララ州の聖なるお祭りです。


これは、インドの国立祭としてお祝いされるディワリ祭にほぼ似ている祭です。


このお祭りの際には、地元の人々が新しい服を来て、美味しい食事を食べて、また、お菓子などを近所の人々と交換したりして、楽しく過ごすお祭りです。


オーナム祭は「お正月」という意味と「楽しくお祝する」という意味で一般的に知られています。


この祭はなぜ?どんな理由のもとに行われるようになったのかを多くの人々は知らないでしょう。


ここでその理由をお話します。

 

数千年前の神話によると、バリという名前の王様(聖者)がいました。


その王様はとても権力のある人物で、大きな規模の全体的な地球を治めていました。


王様はさらにが湧き、今度は天国(神の世界)を治めようと決心しました。


王様専用のお坊様であるシュクリア・ジャリヤに相談して地上最高レベルの霊的なレベル及び力をつける為に特別な儀式をお坊様に実行してもらうことに決めました。


そしてこのダスワ・メガ・ヤギャーを実行開始しました。


このヤギャーを別々の段階で100回やりこなさなければならなかったのです。


99回まではやりこなしました。

 

最後の1回の段階の時に、もうすぐ最大の力を自分につけることが出来て神の世界である天国を治めることができると思って、とても喜んでいました。


その時、天国の王様である神様インドラ(天神様)のお母様であるアーティテア(シャクティニカ)が心配をして、このままだと天国がバリという王様の手に渡されてしまいます。


それでは、大変困ります。


インドラ神と共に他の神々を集めて、ビシュヌ(救世主)のところに助けを求めに行きました。


それに従い、ビシュヌ神はビラハマンの男性に変身して地球に降りてバリがヤギャーを行っているヤギャー場へ向かいました。


そこで、バリと会い、バリがビラハマンである聖なる人物をあたたかく歓迎しました。

 

そしてビラハマンに、なぜここへいらっしゃったのか、等の理由を尋ねられました。


それに対してビラハマンの男性は「私はただ3歩足を動かしておさまるだけの土地面積が欲しい。そうしたら私はそこで気持ちよく眠ることができます」


バリは、その願いを聞き驚きました。

なぜならば通常のビラハマンならば、宝石、象、等をお願いしますが、今回のような贅沢とはかけ離れた願いを、バリは驚きつつも聞き入れる事を約束しました。


その約束の内容をバリの専用のお坊様シュクリア・チャリヤが知り、すぐにそのビラハマンはビシュヌ神が化けた姿であり、ヤギャーを止める目的で来たに違いないこと、更にバリがしてしまったその約束は間違いであり、取り消すべきであると告げました。


しかし、一度してしまった約束は破ることが出来ません。


たとえビシュヌ神が化けた姿であったとしても、最大の権力者であるビシュヌ神に抗うことは不可能であるので、黙って約束を守る他に術はありませんでした。

その事を聞いたお坊様はバリに怒り、ヤギャーを中止しバリのもとから去りました。

 

バリはビラハマンの所へ行き「どうぞ足を3歩分進めて下さい」と言いました。


するとビラハマンに化けていたビシュヌ神は変身を解き、本来の姿に戻り、更に最大級に巨大化しました。

そして、ビシュヌ神は最初の一歩で天国全体を覆いました。

2歩目で地球全体を覆いました。


しかし、あまりのビシュヌ神の大きさのため、3歩目を進める事ができませんでした。
バリは、たった3歩で全世界を覆い尽くしてしまったビシュヌ神に恐れおののき、自らの欲深さを嘆きました。


そして、天国を支配しようなどという愚かな考えを悔い改めました。


そして、バリはビシュヌ神の足元で横になり「あなたのその3歩目を私の身体のどこへでもおいて下さい」と言いました。


ビシュヌ神は巨大化していた自分の姿を元に戻しました。そして3歩目はバリの身体の上におきました。


バリはビシュヌ神に謝りました。心から反省しました。


そして、ヤギャーを取りやめ、天国支配を中止することをビシュヌ神に約束しました。

 

天国と地球、更に自分自身までビシュヌ神のものとなってしまた今、バリは自らの居場所をお願いしました。


ビシュヌ神は言いました。「あなたが行ける場所はたった1つしかありません。それはパタール・ロックです。そこをどうぞ支配して下さい」


パタール・ロックとは、悪い心と悪魔で溢れている場所で、海の底にあります。


バリはそこに一人で行くことは出来ないので、ビシュヌ神に一緒に来てほしいとお願いしました。


優しいビシュヌ神はバリを守るために共に海の底へ行きました。


その頃から、ビシュヌ神はバリと海の底パタール・ロックで暮らしています。


バリはこの日にビシュヌ神によってパタール・ロックのを与えられた日でもあります。


年に一度この日に限り、ビシュヌ神は地球に降りて来て信者に祝福を与えます。
人々がそれを記念日としてこのオーナム祭を商売繁盛、知恵の向上、そして裕福になるためにお祝します。

 

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ガルーダに乗るヴィシュヌ神と妻のラクシュミー女神様

 

 


個人的な思いで‥

 

私はこれまでに5回サイババ様のところに行っています。


その中でも最も強く印象に残っているのが2006年の5月に当時一緒にヒーリングを習っている仲間達と行った時のことです。

 

2006年5月のサイババ様巡礼の旅も滞りなく進み、私達は帰路につく為にバンガロールの空港でフライトの時間を待っていました。


空港のロビーで土産物屋をウロウロしていると一緒にツアーに参加しているMさんとMさんの弟が、わたしにお金(インドルピー)を貸してくれないか?と言ってきました。


訳を聞いてみると、とても気に入ったガネーシャ神の像が売っていて是非とも購入したいのだけれどお金が足りないのです!と言うのです。


私も、後は飛行機に乗って帰るだけだと思っていましたからインドルピーは使い切っていてほとんど持っていませんでした。


仕方無く、お金が無い事をMさんに伝えると、Mさんとはその場を分かれました。

 

 

それから、しばらくして私は他のツアー参加者と空港のロビーの休憩所でゆっくりと談笑をしていました。


すると、私の席から3~4列先に先程のMさんが弟さんと一緒に椅子に座っているのを見つけました。


Mさんの手には、先程欲しがっていたガネーシャ神様の像があります!
私の目には、Mさんと弟さんがそのガネーシャ神様を見て嬉しそうに話している光景が入ってきました。


私は、良かったな、きっとツアー参加者の誰かがインドルピーを持っていて
Mさんに貸してあげてMさんが都合よくガネーシャ神様を買えたんだ!と 思いました。


しかし!


驚いたのはこの後です。


なんと、金属性のガネーシャ神様の像が突然ひかりだしたのです。


神々しい光フワーッと放射状に広がっていきます。


神様を描いた像や絵に後光が射している神々しいモノがありますが


今、目の前でガネーシャ神様の像が神々しくだしたのです。

 

驚いてMさんのところに行き、ガネーシャ神様が光った事を伝えました。


すると、Mさんと弟さんは「えっ!」て顔をして驚きました。

 

ひかったガネーシャ神様をもう一度ちゃんと見てみよう!と、Mさんが手に取りました。


するとガネーシャ神様は、またひかり出しました。


しかし、持っているMさんには光が見えないようです。

 

私と弟さんにはハッキリと光が見えています。

 

それでは今度は弟さんがガネーシャ神像を持ってみることにしました。

 

すると、今度はMさんにもハッキリと光が見えました。

 

3人で何度か交代してガネーシャ神像を持ってみると、どうやら持っている本人は光が近すぎて見えないようだ!という事が分かりました。


私とMさんと弟さんの3人でガネーシャ神様やサイババ様に神の奇跡を見せて貰ったようで、とても嬉しい気持ちになり。しばらく神の祝福の中にいるような特別な感覚に浸っていました。


(ガネーシャ神様は現世御利益最高の神様といわれインドで大人気の神様です。日本には聖天様という名前で入って来ていて妻沼聖天、待乳山聖天、生駒聖天が日本の3大聖天として親しまれています)
(神様の絵や像に後光があるのは過去にハッキリとそういう後光を見た人がいるからだ!という事が体験として分かりました)
(天使のリングもきっと見た事がある人がいるのだと思います)

 

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ガネーシャ神(シバ神とパールバティー女神の子供)

 

そして、まだガネーシャ神様の興奮の余韻が残るままフライトの時間になり、インド国内線の飛行機は空港を飛び立ちました。


バンガロールからインドの首都デリーに向かう便です。


飛行機が飛び立って20~30分程たったときでしょうか


けたたましい機内アナウンスが響きました。


私は英語が分からないので機内アナウンスが何を言っているかは分かりませんが

ドクター!ドクター!」と乗務員が連呼していたので


乗客の誰かの体調がすぐれないのだろうという事はわかりました。

 

しばらくすると、私の席の後ろの方でガヤガヤと騒がしくしています、客室乗務員の人達も集まって来ているようでした。


後方を確認すると4席程後ろの男性が白目を剥いて泡を吹いていました。


あきらかに何かの発作が起きているか、とにかく緊急を要する事態だという事は一目瞭然でした。


他の乗客は少し不安そうな顔をしていましたがパニックにならないように皆さん必死に平静を装っているような雰囲気です。

 

そんな緊迫した機内状況の中で、偶然、私の隣に座っていたツアー参加者のTさんは、

おもむろに手の平を上にして両手を膝の上に置くと目をつぶりゆっくりと呼吸をしだすと、病人に対して遠隔でヒーリングをはじめました。


すると‥‥驚いた事に!


先程見たガネーシャ様から出た光と同じ光が、私の隣のTさんから出てはじめました!
フワーッ!とTさんの身体からがでているのです。

私は、とても驚きました。

 

人って驚き過ぎるとどう反応して良いのか分からなくなるんですね。


先程、一緒にガネーシャ神様の光を見たMさんや弟さんでしたらTさんの光を見る事ができたのでしょうが、


同じ飛行機に乗ってるとはいえ、どこの座席に座っているか分かりません。


私は一人静かに驚いていました。

 

Tさんが光った事を本人に伝えたのはそれから数カ月たってからの事でした。

(それまでに会う機会も無かったのですが)


私は驚き過ぎてスグに本人に伝える事が出来なかったのです。

 

余談になりますが、今回の体験を通して真言宗の開祖である空海が光ったという奇跡も本当なのだと思いました。

 

もう一つ余談の話をしますと、私自身がガネーシャ神様が光った時のバイブレーションを覚えていて、その光った時と同じバイブレーションを私自身が発する時があります。


もっと言うと、より強力にバイブレーションを発していると感じる時があります。


あくまで本人がそう感じるだけですが。


もしかして?俺自身が光ってるんじゃないか?って思う時があります。


どうしよう?


あの人光ってるよ!って言われたら!なんて事を心配する事があります。


それでも、多くの人は光が見えないから大丈夫かな?って思ったり。
そんな事を思いながら過ごしていたある日のことです。


とある、スピリチュアル系のイベントに参加している時のことでしたでした。


一人の男性がそそくさと私に近付いてきて耳元に顔を近付けるとこっそりとこう言いました。

「光ってますよ!」

私はハッ!として自分が光らないように意識しました。


(イベントの講師の先生がいますから、先生の講義の邪魔をしてはいけないと瞬時にそう思ったのでした)


そして、光っているという事が他の参加者の耳に入る前に急いで会場を後にしたのでした。


どうやら、私自身も光っていたようです。

 

このような奇跡の話は一部の人にしかしてこなかったのですが、
令和の時代に入りこういう奇跡も奇跡では無くなり、「そうそう!」「そういう現象は起きるよ!」ってだんだん日常的な出来事になるような気がしています。


また、それよりももっとスピリチュアリティーの高い現象がどんどん起きて来るかもしれません。

 

 

 

ちなみに、実際に光ったガネーシャ神像はMさんが持っていますが同型の像は後日に再びインドに行った際に購入してきました。(こちらも素晴らしいガネーシャ様像です)
同型の像で宜しければお見せする事が出来ます。
(像は置いたら安易に動かさない方が良いと言う考え方もありますが、一人でも多くの人にガネーシャ神様に興味を持っていただく事も神様が喜ぶ事だと感じております)

 

 

 

 

 


サイババ様の歌(ユーチューブ)


サイババ様が歌っている曲がユーチューブにありましたのでいくつか御紹介させて頂きます。

インドのプッタパルティで歌われているような曲から音楽性のとても高い曲まで!

お時間のある時にどうぞお聞きください


SAI BABA :: ASATO MA

アサトーマー サッドガマヤー
タマソーマー ジョーティル ガマヤー
ムリトョールマー アムリタン ガマヤー  

【日本語訳】
偽りから真実へ
暗闇から光明へ
滅びゆくものから不滅のものへ
どうか私をお導きください


こちらのマントラは映画マトリックスでも使われているみたいですね
(私は映画を見たことは無いのですが映画のユーチューブも参考までに)


MATRIX - Juno Reactor Navras (Lyrics Μετάφραση - Σανσκριτικά)

 

立て続けに御紹介させていただきます。


BE HAPPY


Sai Baba - MEDITATION


Sai Baba Darshan - Sathya Vakku Valana


Sathya Sai Baba in Bliss


Sathya Sai Baba singing "Govinda Krishna Jai" ()


Love is My Form Bhajan (Sung by Sathya Sai Baba) with English Captions.

 


Sai Sings Bhajans 2


Sri Satya Sai Darshan - A collection of Satya Sai Devotional Songs

 

 

ガヤトリーマントラ


Gayathri Mantra by Sathya Sai Baba

ガヤトリー・マントラはヴェーダ聖典のエッセンスすべてを含む、ヒンドゥー教において最高峰のマントラであるといわれています。

オーム ブール ブワッスワハー
タッサヴィトゥール ワレーニャム
バルゴー デーヴァスヤ デイーマヒー
ディヨーヨーナップラチョーダヤートウ

【日本語訳】
至高の神よ、地、空、天界
私達の聖なる母よ、その輝きは、
私達の心にある暗闇を滅ぼします
私達は、その聖なる輝きに瞑想します
私達の内なる知性を目覚めさせたまえ

(最後に)オーム シャンティ シャンティ シャンティヒー
    至高の神よ、平安 平安 平安

 

 

 

 

瞑想


最後に「サイババに学ぶ瞑想法」よりサイババ様が勧める光明瞑想を御紹介します。


(書籍にも書いてありますが、些細なことではありますがより正確に知りたい方はサイセンターにお問い合わせすることをお勧めします。)

 

光明瞑想は初心者が一人でやっても安全であり、また、長年瞑想を学び熟達した人にも相応しい瞑想法であるとされています。

 

 

部屋を暗くして、座った時の目の高さにの位置に蝋燭を灯します。


背筋を真っ直ぐにして、蝋燭の前40~50センチの位置に座ります。


手の平を上に向けて膝の上に置きます。勿論、座禅の姿勢でも構いません。


身体をリラックスさせて。意識を頭頂部から徐々に下に下げながら、

心の中で「頭から力が抜ける」、次いで「顔から力が抜ける」、「首筋から力が抜ける」、「手から力が抜ける」、


「胸から力が抜ける」、「背中から力が抜ける」、「腰から力が抜ける」、「足から力が抜ける」と降ろしていきます。


意識を向けたところの力が抜けて身体も気持ちもリラックスします。


少しあごを引いて、軽く目を閉じます。


そして、サティヤ・サイババ様に瞑想を導いて下さるようにお願いします。(あなたが信仰している神様でも大丈夫です)


息を吸う時に、ソーという言葉を心で唱えます。息を吐く時はハムーと唱えます。


ソーは彼(神)、ハムーは私です。 暫く繰り返します。


心が落ち着いてきたら、オームを3回唱え、ガヤトリーマントラを3回、自分に聞こえる程度の声で唱えます。

 

~ガヤトリー・マントラ~

オーム ブール ブワッスワハー
タッサヴィトゥール ワレーニャム
バルゴー デーヴァスヤ デイーマヒー
ディヨーヨーナップラチョーダヤートウ

 


静寂の後、静かに目を開けて、蝋燭の炎に暫くの間、意識を(目)を向けます。


静かに目を閉じ、瞼の内側に残った蝋燭の炎の残像を眉間に持っていきます。(意識で持っていきます)


次に、眉間に持っていった炎の明るさを増しながら、ハートのフリダヤまで降ろします。ハートが明るく神の光で満たされます。

 

(フリダヤ→サイババによりますと、心臓の位置、中心より少し右寄り奥、背骨の9~12番目辺りにフリダヤと呼ばれる内在神の住まわれているところが、実際にあるということです)

 

光は腕全体を満たしました。この手は人を助け、社会に奉仕するなど聖なる働きをする為に使われます。


光溢れるハートにのつぼみを想像します。


つぼみはゆっくりと開き始めます。ハートに蓮の花が咲きました。

 

炎をゆっくりと下に降り始めます。胸からお腹を通って一番下に達します。


炎の光がお腹全体に広がります。

 

光は両足を満たしました。


この足はサットサングと共に聖なる所へ行き、学び、社会に奉仕をするために使われます。


「私の両手、両足は神の聖なる道具となりました」。

 

光は後ろに回り、周囲を明るく照らしながら、尾てい骨から背骨に沿って上昇します。


首筋に達した光は、前に回り唇を清め、口の中に入ります。光は舌を清めます。


「私の唇と舌は清浄なる食物だけを節制して食べ、飲みます。また、この唇と舌は人の悪口、中傷、虚偽を言いません。無駄なおしゃべりをしません。人を癒し、神の御名を唱えるなど正しく働きます」


と心で唱えます。

 

光は目を照らします。「私の目はあらゆる物に内在している神を見ます。物事の真贋を洞察します。本質を見抜きます」。


光は両方の耳を照らします。「私の耳は善なる音だけを聞くようにします」。


光は頭全体を明るく照らし、悪い考えを浄化します。「私は正しい事、善い事だけを考えます」。


光が頭全体から外に向かって輝き始めます。光が身体を包みます。


「私は光です。光は神です。神は愛です」と心で唱えます。


(暫く、そのままの状態でいます)

 

愛の光を頭から大きく拡げて行きます。感謝の思いと共に、両親を包みます。御先祖様、兄弟や近親者を包んで行きます。


御指導いただいた先生、お世話になった方々、先輩や友人、同僚、後輩へと光は広がり包んで行きます。


病気の人や気の毒な人達、さらに自分に対して敵対的感情を持っている人達をも光は包み祝福します。

 

光はさらに広がり、鳥や動物を包みます。森や林の木々を包みます。


光は川に広がり、水中の生き物すべてを包み祝福します。


光は山を包み海に広がり、山に棲む全ての生き物を包み祝福します。


光はさらに広がり、地球を包みます。


地球から広がった光は月を包み太陽を包み、銀河系を包み、全宇宙へと広がります。


全てが光に包まれ祝福をされています。


「光の中に私は居ます」「光は私の中にあります」「私は光です」と心の中で唱えます。


光は神、神は愛、愛のあるところに平安があります。


「私は平安です」「私は平安です」「私は平安です」・・・。

 

 


光をハートの神聖空間(フリダヤ)へと戻します。

 

そして、ハートに安置した状態で一日を過ごします。

 

そのまま、しばらく瞑想を続けても結構です。

 

 


終わりましたら、サイババの信者の方は小さな声でシャンティマントラを唱えます。


サイババへの祈りの最後に唱える「ローカーサマスタースキノーババントゥー」(生きとし生けるもの全てに幸福と平安をお与え下さい」というマントラこそ、愛の象徴と言えるものです。

 

そして、瞑想を導いて下さった神様に(小さくとも声に出して)感謝をします。

 

手足から動かし始め、全身をゆっくり動かします。


静かに目をあけます。

 

瞑想を終えた後は、折角得た精神の平静状態を持続させる為にも、できるだけ、こころ穏やかに生活するように努める事が大切と言えます。

 

 

 

【補足】ソーハム瞑想について


ソーハム瞑想についてほんの少しだけ解説させて頂きます。詳しく記述しますと1冊の本になるくらい奥の深い瞑想法でございますのでここではほんの触りだけ。


古からあるソーハム瞑想。ソーハムの神秘は、そのまま創造神ブラフマンの御姿、本質に繋がるものと言われています。


息を吸う時にソー、吐くときにハムーと心で唱えながら、普通の呼吸のリズムで繰り返します。


実は、耳に聞こえないのですが、本来、呼吸をする度にそのような聖音が生じているのだそうです。

 

ソーとハムは一体となってプラナバマントラ(宇宙原初の神聖な響き、音、オーム。宇宙の全ての音はこの音から始まり、この音に帰ると言われています)であるオームを含んでいます。

 

ソーハムとは前途したとおりソーは彼(神)ハムーは私です。


ソーハムとは「彼(神)と私は1つである」という意味です。

 

ゆっくりリラックスしてソーハム瞑想をすることはとても良い事です。


また、私達人間は呼吸をする度に、意識をしないまま「ソーハム」のマントラを唱えながら生きていることになります。

 

ソーハムを規則正しく唱えていると、ハムサと聞こえてきます。このことからハムサガヤトリーとも呼ばれます。


サイババ様はとりわけ、ソーハム瞑想について折に触れ取り上げられ、詳しく説明されています。


このことからもソーハム瞑想、ハムサガヤトリーを重要視されていることが伺われます。

 

 

 

 


長いブログを読んで頂きありがとうございます。
私自身、初めてと言っていいブログで足らないところが多々あったことだろうと思います。
少しずつ修正、改良していきますので気長に見ていただけるとありがたいです。
読んで頂いた皆様に私からの少しばかりの気持ちとしてサイババ様のとても貴重な特別なお写真をお見せしようと思います。
2019年にプッタパルティを訪れた際に、博物館の責任者様から特別に許可を頂いて撮影することが出来ましたサティア・サイババ様の驚きの本当のお姿のお写真をお見せさせて頂きたいと思います。
(博物館の責任者様からSNSに載せる等、気軽に拡散することは禁止されていますので実際にお会いしました方にかぎり御要望・お声掛けいただけましたらお見せさせて頂きます)


サイババ様についてのお話はまだまだ沢山ありますので、またいつかブログに書くかもしれません。
その時は、どうぞ宜しくお願いします。

 

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